昭和45年くらいのワイン事情③
2011年 12月 15日
「葡萄屋」さんは西洋料理の店でしたが、毎週土曜日には<ローストビーフディナー>をワゴンサービス
でお出しして 土曜日は常に満席状態でした、魚料理も「ソールボンファン」と言う今では古典料理の料理法
出だしていました、でもその当時はとても美味しく感じました。それでもその当時赤ワインを飲むお客様は少な
白ワインの需要が多く
みなさん モーゼルやラインのワインを好んで飲まれていました、そしてその後パパのワイン人生のスタート
といえる「シャトーイケム」を空けることになるのです。前にも書きましたがこのワインのすごさは今でも鮮明
に覚えています、その当時20席あまりの店内にイケムを空けた途端に香りが広がっていくのです、世の中に
こんな飲み物があるのかと言うのがまだ20才になったばかりのパパには衝撃でした、その後モンテローザに
勤めるのですが、まだワインと言うものがあまりわかっていませんでしたね それから3年を経てモンテローザ
がフランス帰りのシェフを迎えてから、新しいワインの世界が変わり始めるのでした。
でお出しして 土曜日は常に満席状態でした、魚料理も「ソールボンファン」と言う今では古典料理の料理法
出だしていました、でもその当時はとても美味しく感じました。それでもその当時赤ワインを飲むお客様は少な
白ワインの需要が多く
みなさん モーゼルやラインのワインを好んで飲まれていました、そしてその後パパのワイン人生のスタート
といえる「シャトーイケム」を空けることになるのです。前にも書きましたがこのワインのすごさは今でも鮮明
に覚えています、その当時20席あまりの店内にイケムを空けた途端に香りが広がっていくのです、世の中に
こんな飲み物があるのかと言うのがまだ20才になったばかりのパパには衝撃でした、その後モンテローザに
勤めるのですが、まだワインと言うものがあまりわかっていませんでしたね それから3年を経てモンテローザ
がフランス帰りのシェフを迎えてから、新しいワインの世界が変わり始めるのでした。
by bon1015m
| 2011-12-15 17:05